映画 天使と悪魔 ネタばれ メモメモ
2009-05-16


あーローマいいよローマさいこーもうローマだいすき明日からローマとラツィオしか応援しないとか超適当な事を思いながら見た映画・天使と悪魔ネタばれごめんの感想。

ヴェントレスカの出生、法王との関係は結構ぼかされてる。IRAのテロで母親が死んで法王の息子になった。
これはしょうがないんだろう。風のシンボルで司祭が殺害されるところで「幹細胞実験反対」を謳う信者とそれに反対する信者の取っ組み合いが始まる。バチカンに同じく集まっていてもこれだから。
ヴィットリアと養父の関係も出てこない どちらも普通の同僚みたいな関係になってる。
コーラー出てこない。

ハサシンが白人。名前がミスターグレイとかになっとる。スラリとした眼鏡男子のハンサム。もしやアシュケナージユダヤですか(爆)。キャストはデニッシュダイナマイトwの人。いやむしろ個人技。
眼鏡変装であちこちでちらちら出てくる司祭の一人。風のところでたくさん出てくる。あごに無精髭の人。内部者なんでパトリックとつるんでいろいろやれたとゆーわけか。
たいへんな拳銃の使い手ぶり。もーばんばん撃つ撃つ当たる当たる。小説ではそれなりにアッラーアクバルだったけどこちらはクールであまり表情がない。で、ヴィットリアとラングドンにサンタンジェロで遭遇するのだが「命令されていない」ということで二人を殺害しようとしない。小説ではどうだっけ。「私はこれからすることによって罪人になる」とか「なぜこんなに苦しめて殺さなくてはならないんだ」とかなんとか。要はイスラムとの宗教対立を含まない内容にしてある。「彼ら(宗教家)を甘くみてはいけない。彼らは神の僕(しもべ)だ」とかなんとか、言い残して逃亡したあと報奨金の場所として指定されていた車に仕込みがしてあって、エンジンかけたら車ごと爆破してしまいさようなら。小説では東洋の余分な知恵wで返り討ちに合うが、この設定はなかなか泣ける。あれ、でも聖職者なら報償なんて欲しがらないだろ。どっちかが多分偽装か自分の記憶が間違ってるかだ。
「私は神を手にかけるのでたくさんの人が私に依頼をしてくる」ただ「罪人とは、罪を行うことによって罪人になるのであり、生まれながらにそうあるのではない」的なことが強調されていた・・・か?完全映画オリジナルになっていると思った。宗教の言葉で語りうる範囲の無宗教ってゆーかー。キリエ・エレイソン。主よ憐れみ給え。宗教に命をかけるのどーなんだ、というのが映画でも小説でもテーマなのは変わらない気がする。

水のところで司教が死なない。ラングドンがわーわーしてたらローマ市民が寄り集まってきて皆で助け出す。地元サービスか。ま、泉があるのって夜中でも人が集まってる広場で超市街地だもんな・・・そこで大騒ぎしながら人が死ぬ小説の方に無理があったと言えるか。で、助かったこの人が最終的にコンクラーベで法王に選ばれる。医師の法王。水は伝播していく感情の象徴。同情、愛着、嗜好、アイドル的な人気。映画ではパトリックが死んでもパウロの丘に恵みの雨は振らず、彼はキリストになれなかったが水から市民に助け出された新しい法王が集まった市民をあらたに祝福する。いい話じゃねっすか。どうせなら漁夫よろしく網で司教すくったりするべきだったのか。ま、科学と宗教のいいとこどり。パトリックの試験管生まれがなかったことになってるぶんがいちおーここでリカバーされている。司教と尼僧の欲望の末が息子だったのではなく、市民に還元されてるって感じっすか。

新しい法王を救ったのはラングドン。ラングドンを呼んだのはバチカン。イルミナティは彼が読み解かなければ恐怖も意味も復活しなかったのだし、似非陰謀論に近いジャンルのラングドンの専門から彼の働きによって新しい法王が誕生する、とゆー流れはおもろい。


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